カルペディエム

小説書いてます

ぼくの心臓が動かなくなって一年が過ぎた

朝、神子がカレンダーをめくった。ぼくの心臓が動かなくなって一年が過ぎた。

最後に心臓が動いていたのは33歳の誕生日を迎える1週間前のことだ。幸いにもわずかながら投資で作った蓄えがあったこともあり、神子はベッドの中で動かなくなったぼくをやさしく受け入れてくれている。最初こそ戸惑ったが今ではそういうものと認めてくれた。死にながら生きるものと暮らすこともあるのだと。

「昨日うずらやに行ったらねー、もう菱餅が出てた」

神子はそう言いながら、フローリング拭き用シートでぼくの体を拭いてくれた。顔、首、肩、胸、腕、わきの裏、腰、尻、性器、太もも、ひざの裏、ふくらはぎ、くるぶし、足の裏。ぼくの体は腐らず真っ白に枯れているので、拭くというよりほこりを払っているようなものだ。血液をはじめとする体液、排泄物などは最後の1ヵ月ですべて体外に排出してしまった。これで死んでいないのは本当に奇跡だ。

カーテンごしのなめらかな光が当たり、ぼくの体には彫刻のような灰色の影が落ちている。水分がなくなりドライフラワーのようにぱりぱりの毛に包まれた子供のように小さな性器。神子は性器をふくめてぼくの全身にオイルを塗りつける。ゼラニウムやマジョラムのむせかえりそうな匂いが部屋全体に広がっていく。

出かける準備を済ませたあと、神子はぼくを抱え旅行用のボストンバッグに入れた。知り合いの編集者からもらったもので、新婚旅行でハワイに行こうとしたとき買ったものだった。結局お互い仕事が忙しくなってハワイには行けず、初めて入れた荷物がぼくになった。ぼくは折りたたむとちょうど入るサイズだと妻は笑っていた。

チャックがしまったボストンバッグの外から、古いタイプの携帯電話をパキッと開く音が聞こえる。神子はぼくと結婚する前からずっとこの携帯電話を使っている。

「さおりちゃん?うん。これから出る。1時間くらいで着くと思うから。うん。お昼どうしよう?ゆうきくんがいるし、カフェとかだと入りづらいかなって。あ、そういうところがあるの?さすがだねー。じゃそこにしてもいい?うん。ありがとう」

神子は電話を切り、ぼくが入ったボストンバッグを「よいせ」と抱えた。いくら軽いとはいえ骨と皮だけで十キロはある。ぼくとしては宅配でもかまわないのだが伝える手段がない。神子はもう40歳になる。旅行用ボストンバッグの中で屈葬のような姿勢をとったまま、神子を心配することしかできない自分がむなしかった。